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 専修坊の歴史

【建立】
 星川九曜太郎光信(智叡)は859年に三井寺の開山智証大師の弟子となる。智証に常随し、三河に来た際(868年3月)に当山を建立。当時は天台宗の寺で古取山聖徳院専修寺といった。

【改宗】
専修坊第15世願祐の時、親鸞聖人が三河に来られたのち(1235年)に改宗し浄土真宗の寺院となった。一向院専修寺と改名している。

【蓮如上人】
蓮如上人は本願寺8代目の門主である。応仁2年に三河に来て巡化(巡り歩き説法し教化すること)する。
 上人が三河に滞在されるにあたり、上宮寺の佐々木如光(現在は岡崎市)を頼りにされた。如光が西端の生まれであり、また専修坊の星川渓玉(22世)が如光の弟子であったため、蓮如上人はしばしば西端や高取に滞在されていた。
 西端や高取に蓮如上人の影響が色濃く残っているのはそのためだと思われる。専修坊に伝わる御遺物として、蓮如上人が滞在時にお書きになった名号が残っている他、当寺の本堂の南には蓮如上人がそこから田植えを見物されたという石碑が残っている。
【山号】
高取山という山号を名乗ったのは1789年頃と思われる。
碧海郡高取 高取山 専修坊 祐聞(33世)に対する許可証が残っている。
 また、専修坊という寺院名は、蓮如上人が当時の住職(専修寺の住職)のことを専修寺の坊主という意味で専修坊と呼んだからだという伝えが残っている。

【本堂、庫裏】
 現本堂は1841年の建立である。脇棟梁の名に伊藤平左エ門とある。庫裏に関しては本堂と同時期に建立されたものとされるが詳しい記録はない。             

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